マインド

信じる力

願望を設定し、具体的にイメージすることを習慣付けていくと、RASの機能が作動し徐々に情報が集まってきます。

これは、確実にそうなるので、ぜひ実践してみてくださいね。

前回、僕の車の例でも書きましたが、あたなにも同じようなことで、思い当たることはあると思います。

今回は、設定した願望を実現するために必要な、「信じる力」の効力について、僕の考えを語っていきたいと思います。

願望が実現しない理由

願望設定によって、集まってきた情報を元に、それを実現するために、

「こうすればいいんじゃないかな?」

ということを、ふと思いついたりすると思います。

閃きであったり、気付きと言われるものですね。
こういう閃きや気付きが前より増えたなと感じたら、RASが作動していると思っていいと思います。

しかし、ここで、多くの人はそれを行動に移すことができません。
もしくは、一度やってみて、失敗したからあきらめる。
ということがほとんどです。

なぜか?

それは、失敗することが怖いから。

失敗が怖いと思う心 > 自分は実現できると信じる心

だからです。

今までやったことのない新しいことを始めるというのは、少なからず不安や恐怖がつきまといます。
これは、前回説明したRASのホメオスタシス(現状維持機能)の特徴ですね。

そして、行動できないとどうなるかというと、

その願望は実現しなかった

と、いづれあなたはそう認識するようになって、あなたにとって、その願望の重要度が下がり、RASも情報をあげることをやめます。
そして、失敗したという結果だけが残り、終わってしまうのです。

例えば、あなたは年収1億円を稼ぐ!
という願望を持ったとします。

その実現の為には、まずは情報発信が必要だということを学び、それを信じて、ブログを書くということを決めたとします。

ブログを書くといっても、つまらない内容を書いてもしかたありません。

少しでも読者の役に立つと自分が思える内容にしなければ意味がありません。

記事を書くために、コンセプトを練ったり、ネタを収集したり、伝わりやすい文章を書くために、いろいろ勉強が必要だったりします。

しかも、これまで文章を書くことなんて、ほとんどしたことがないあなたにとって、1記事書くのにめちゃくちゃ時間がかかります。

この時間を捻出するためには、今までの生活(テレビを見たり、ゲームしたり、飲みに行ったり)を変えなくてはいけません。

それでいて、ブログを書き続けたからと言って、年収1億円という願望が実現される保証はありません。

ちょっとリアルに想像してみてください。

ブログの書き始めのころは、まだ年収1億円までの道筋が明確に見えているわけではありません。

これが正しいやり方なのか?

書くネタは続くのか?

かけた労力がすべて無駄に終わってしまわないか?

友達からの飲みの誘いを断ることで、付き合い悪くなったと思われないか?

など、いろんな恐怖が頭を過りませんか?

たいては、この恐怖に打ち勝つことができない、

もしくは、途中で経験するであろう挫折にあい、

「あー、やっぱ無理だ―。。」とあきらめてしまうので、失敗に終わってしまうのです。

恐怖や挫折のないチャレンジなんてものはありません。

願望を実現した人や、世の成功者と呼ばれる人たちも、過去には私たちと同じような恐怖や挫折を経験しているのです。

それでもあきらめず、自分は願望を実現できると信じてやってきたからこそ、そういうステージにあがれたということなんですね。

信じる力の効力

失敗してもあきらめずに、何度もチャレンジすればいつかは成功する

というのは、これは確率の問題でもあり、「信じる」ことの効力の一つだとは思いますが、

僕は「信じる」ことの効力は、これだけではないと思っています。

対応力の違い

何か問題が発生した時、

信じることができている人は、どう解決するかを必死に考え対処します。
一見、解決する方法がないと思えることでも、わずかな可能性を信じて行動を起こすということができるんですね。
あきらめるという選択肢が頭にないから。

一方、信じることができていない人というのは、迷いがあり、頭の中にあきらめるという選択肢を常に置いています。
そのため、解決策を考えはするだろうけど、必死さが弱いため、発想力に乏しく、とれる行動にも制限がかかります。

この違いは大きいです。

何をするにしても、問題というのは必ず起きます。
しかも、簡単に解決できないから問題となるのです。

その問題を解決し乗り越えられるかどうかは、願望を実現できるかどうかを大きく左右すると言えます。

「背水の陣」
「窮鼠猫を噛む」
といいますが、追い詰められたとき、人は信じられない力を発揮するというのは、昔から言われていることです。

信じるとは、自ら後を絶って、覚悟を決めるということで、その効力を最大化できるということでもあります。

相手に与える印象の違い

信じることができている人なのか、そうでない人なのかは、接すれば誰でもすぐにわかりますよね?

これは、どうしても表に出てしまいます。

信じることができてない人は、明らかに自信なさそうに見えますし、正しい内容を言ってても、そういう人の話は信頼できません。

逆に、信じることができてる人は、自信ありげに見えますし、言ってることがよくわからなくても、なんか信頼できるのかなとか思っちゃいますよね。

何をするにしても、自分一人ではできないし、人の助けや協力が必要になります。
そういった時に、相手に信頼してもらえるかどうかというのも、願望を実現できるかどうかに大きく左右すると言えます。

成果物の品質の違い

信じることができている人とそうでない人とは、その人が作る物や作業に対する想いが違います。

この想いの違いが一つ一つの成果物の品質であったり、精度に大きく影響するんですね。

先ほどのブログの例えで言うと、

自分は成功するんだと信じて疑わない人は、一つ一つの記事に妥協をゆるしません。
これで成功するんだという強い想いがあるから、そこに全力を捧げることができるんです。

信じることができない人は、やはりどこかで妥協を許してしまい、
成果物である記事の内容に差ができてしまうことになります。

メジャーリーガーのイチローなんかもよくこういった例にだされるのを見かけます。

有名なので彼の小学生の頃の作文をすでに読んだことがある人もいるかもしれませんが、

自分はプロ野球選手になるんだということを明確に書いています。
そして、それを固く信じてきたからこそ、一つ一つのトレーニングを妥協することなく、ストイックなまでにやってこれたわけです。

一つ一つの成果物の品質や精度が、願望実現に直結するということは言うまでもありませんよね。

信じることに根拠は不要

自分は願望を実現できると信じること

って、言葉では簡単に言えますが、そう容易いことではありません。

これは、顕在意識のレベルで無理にそう思ってるだけではダメで、
潜在意識のレベルで心底そう思える状態、

実現することは当然というレベル

である必要があるのです。

通常、人は根拠を求める生き物なので、

実現してもいない、実現の仕方もわからない状態で、願望を自分が叶えることができると信じる

というのは、結構難しかったりします。

たまに、何の根拠もなしに自身満々って人もいますが。

しかし、実は、願望を実現する事と信じる根拠がどうであるかは関係がありません

信じ続けることができれば、根拠はどうだっていいってことです。

ということは、

何の根拠もなしに自身満々で行動できる

という人は、実は、願望実現能力に長けていると言うことが言えるのかもしれませんね。

顕在意識のレベルで無理にそう思ってるだけではダメですが、それを思い続けることで、潜在意識まで浸透し、本当にそう思えるようになるということはあるのです。

脳には現実と想像を区別できない
という特徴があります。

僕は、むかし寝ているときに変な夢を見ました。

自分はホームでただ電車を待っていたんですが、突然、誰かに後ろから羽交い絞めされて、ナイフで僕の首を横に「ズバッ」と切られる
そんな夢だったんですが、殺されたのか、その直前かに目が覚めました。
目覚めた直後、何とも言えない高揚感とともに、心臓がドキドキしていたのを今でも覚えています。

これは単なる夢で、現実の出来事ではないはずなのに、脳は現実かどうか区別できないので、体が反応していたということなんですね。

スポーツの世界では、イメージトレーニングが重視されていますが、
これは、頭の中でよいイメージを何度も想像することで、潜在意識にイメージの刷り込みを行い
パフォーマンスアップを図ろうというものです。

研究結果の中には、実際にトレーニングするのとほぼ同じくらいの効果があったとするものもあるようです。

これはスポーツに限ったことではなく、自分が望むこと何でも、それが実現したイメージを何度も何度も、よりリアルに想像することで、潜在意識への刷り込みは可能なのです。

効果が期待できる有効な手法だと思いますので、ぜひ実践してみてください。

神様の力を借りる

願望を実現する事と信じる根拠がどうであるかは関係がない

ということは、

実は、信じる対象は自分でなくても、神様であってもよいのです。

しかし、ここで重要となるのは、その神様との接し方、神様をどういうものだと捉えるのかという視点です。

一般的な日本人の宗教観でいう神頼み

幸せになりますように!
健康でいられますように!
お金持ちになれますように!

こういったことを神様にお願いするとき、その願いは神様が叶えてくださるものであり、自分が何かをしないといけないという感覚はあまりないように思います。

クレクレばかりで、完全に受け身なわけです。

しかも、神様が願いを叶えてくださると本気で信じてる人もほとんどいないでしょう。

これだと、やはり願望実現力が弱いと言わざるを得ないです。

しかし、キリスト教やユダヤ教といった西欧における神様との接し方というのは、日本人のとは少し違います。

西欧の神様というのは、絶大な力を持っていて、全知全能、この世の創造主であるとされています。
唯一絶対であるため、他の神への信仰も許しません。
神様のことを疑うことは許されず、ただただ信じることを求められます。

あなたが疑うことなく神を信じていれば、
神はあなたを祝福し、加護し、導いてくださるのです。

あなたが何か願望を持ったならば、あなたがそれを実現できるよう
神はあなたを祝福し、加護し、導いてくださるということです。

全知全能の神が、あなたがその願望を実現することを
祝福し、加護し、導いてくださるのだから、それが不可能などということはありえません。

あなたがその願望の実現を疑うということは、神を疑うに等しいわけです。

そして、あなたが、何か問題に直面した時、
それはあなたが気付きを得るために、神が与えてくださったものであり、
あなたが乗り越えるべき試練なわけです。

こういった教えを信じ、最も厳格に守ってきた民族

それが、ユダヤ人なんですね。

ユダヤ人と言えば、世界で最も優秀な民族などと言われたりしますが、
世界の主要なポストには、ユダヤ系が多かったり、
ユダヤ人は世界の人口の0.2%であるのに対し、ノーベル賞受賞者のうち、ユダヤ人が占める割合は22%にもなるといわれています。

しかし、こういった教えというかシステム、本当によくできてると思いませんか?

自分を信じるというのは、なかなか難しいものがありますが、
全知全能の神と言われれば、人は信じることができるものです。

その神を信じることで、

人がよりよく生きるために、自分の願望が実現できるよう設計されているのですから、

やはり宗教というのは、人の役に立ってきたわけです。

宗教というと、近年の悪質な新興宗教や戦争の引き金になったりと良いイメージを持っていない方も多いと思います。
宗教がこういった性質である以上、悪用されやすいというのも事実だと思います。

しかし、キリスト教やユダヤ教の本質は、人がよりよく生きるためのものであると思いますし、フラットな視点で物事を視るということも必要かと思います。

日本の宗教観と西欧の宗教観、どちらが良いとか優れているとか言うつもりはありません。
どちらにも良い面、悪い面いろいろあるでしょうから。

ただ、こういった宗教観の違いなど、基本的なところは知っておいて損はないのかなと思います。

西欧には、元々、こういった土壌があって、「思考は現実化する」や「引き寄せの法則」といったものが、西欧から生まれたのも納得できますよね。

そう考えると、「思考は現実化する」や「引き寄せの法則」というものを、日本人である私たちが活用するためには、少しアレンジが必要かなと思います。

全知全能の神という存在がない私たち日本人が、
自分が願望を実現できると信じるためにはどうすればよいか
ということについて、次回以降また語りたいと思います。